世の中には、例えば10人居たら10通りの見方や考え方が有ります。
それは、自分には自分の考え方が有るように、周りには周りの考え方や見方が有るのです。
そして、周りに見方や考え方を変えてくださいと言っても、到底無理な話なのです。
何故ならば、それは仮に自分が周りから見方や考え方を変えなさいと言われたら、やっぱり嫌ですよね?
どうして周りの考え方や見方を押し付けられなきゃいけないの?と言いたくなります。
私自身もそうです。
周りから縛られて、周りの考えを押し付けられて、強制されるのが好きか?と言えば、好きではありません。
皆さんそれぞれに自分の人生が有るのですから、自分が考え、自分で判断し、自分で生きているのです。
そういう世界で生きていますから、人間関係でよく生まれるのが『誤解』です。
誤解をされたが故に、例えば自分が今まで居たグループであるとか、職場であるとか、そういったところから自分に対して刺すような目線で見られ、自分とは全く違ったことのように思えても、そういうイメージで見られてしまうようになります。
自分はいつも通りの振る舞いで、いつも通り周りと接していても、良からぬ噂が流れてしまったり、それがもっとひどくなれば人間関係の切り離しをされてしまうことも有るのです。
誤解をされるというのは本当に辛いですし、例え自分には身に覚えのないことでも、結局その誤解が先走ってしまいますから、自分が居づらくなることも有ります。
私も以前、グループで自分には全く身に覚えのない誤解を受けて、結局そのグループに居づらくなり、追い出されるような感じで出た記憶が有ります。
一つの誤解でこれだけ変わるのかというぐらいに、とても辛くて、悲しい気持ちになったことを今でも覚えています。
あのときの記憶、経験というのは、恐らく一生忘れないと思います。
誤解を受けた自分はもうダメなの?
誤解をされてしまったら、もう自分にはどこにも居場所が無いのか?とよく聞かれます。
先にも書いたように、私も同じような経験をしてきました。
ちょっとした誤解で、人間関係全てが終わったかのように感じますよね。
この先どうしたら良いのだろうと、不安・心配しか生まれてこなくなったりね。
そのときの気持ちの持ち方は、『いつもと変わらない自分で居なさい』ということです。
全く自分に身に覚えのないことなのであれば、何も自分を180度変える必要もないし、自分から周りにゴマをするような、そういう接し方をしなくて良いということです。
堂々と、自分の生き方というものを芯として立てることです。
誤解をした人というのは、どういう基準であなたを見るのか?
それは、自分たち一人一人の『価値観』で物事を判断します。
これは最初に書きました、自分の物の味方、考え方の話に繋がりますが、人間というのは最後はどこで判断をするのかと言うと、自分の価値観で判断します。
いくらあなたがその人の価値観を変えようとしたところで、それは100年経っても、一生涯かけても、無理なときは無理なのです。
あなたがいくらこう思っていても、周りから見たら全然違う見方をされることも有ります。
『えっ?』?と思わず言いたくなるようなことも起こります。
それら一つ一つに自分が合わせようとして、自分の考え方を変えていては、自分が心苦しくなり、しんどくなるだけです。
〇誤解をされた。
〇自分には身に覚えのないようなことを言われた。
〇今までと態度が変わった。
それはそれでもう切り替えて、堂々と自分が想うように自分の人生を歩いていけば良いのです。
その人間関係に執着せずに、その人はそういう見方をする人なんだと割り切って、堂々と自分は自分らしく生きることです。
何も自分に否が無いのであれば、自分は自分として有って良いのです。
自分が大切にしておきたいこと
自分が自分らしく生きようと決めたときに一番大切にしておいて欲しいこと。
それは、『自分からは悪い種を撒かないこと』。
そして、『自分がされた嫌なことを、周りにはしないこと』。
あなたは自分というものを通して、人間関係で誤解をされて、切り離されたら、こういう嫌な想いをするのだよと教えてもらったのです。
だったら、それを今度は自分の生き方に活かすこと。
そして、自分と同じように、周りで自分と同じような想いをしている人が居れば、自分は周りの良いところだけを見てあげるようにして、周りに嫌な想いをさせないように心がけること。
これだけで良いのです。
人間関係は実に堅く結ばれたような関係でも、明日はどうなるかは分かりません。
だからこそ執着しすぎず、適度に距離を保ちながら、いつも自分らしく堂々と生きることを心がけていくようにしたいものですね。
京都カウンセリングスペース T’s room
こころカウンセラー
森山太陽
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